仲俣暁生さん ブラウジングトークセッション
トークシリーズ「ブラウジングトークセッション」がはじまりました。初回のゲストは、フリー編集者の仲俣暁生さんです。
iPadが販売されたからか、妙に騒がれるようになった電子書籍。端末の話やあたらしいビジネスモデルのことが喧しく議論されています。本の存亡が問われたインターネット黎明期のような状況ですが(いまも本はあるわけで…)、ここは冷静になって、あらためて日常生活における本や図書館の存在感をテーマに話を聞きました。
仲俣さんは90年代半ばから、デジタルメディアと出版の関係から書物について考え、編集者として実践してきた方です。電子書籍の前史をもっともよく知っているといえそうな仲俣さんは、電子書籍の今後に期待をもちながらも、これまでと同じ轍を踏むのではないかと懸念もされています。
電子書籍端末ばかりが話題になることもそうですが、コンテンツである著作の電子化がすすんでいないにもかかわらず、ビジネスモデルやプラットフォームといった言葉だけが先走り、あたかも出版業態のアカルイ未来があるかのように喧伝されていることを危惧していました。
それに対して、本を読むという日常的な営みに立ち返ったときには、本の存在感や生活への浸透の仕方には電子書籍ははるかにおよびませんし、さらにそれら本が無数にあつまる図書館は何にも変えがたいということが分かります。
圧倒的な本の量に対峙できる場所であり、エリック・ホッファーなどの知の先人たちが知を紡いだ場所である図書館は、「公共的に本にアクセスできるところ」です。仲俣さんは「1冊の本を書くために100冊ちかくの本を読む必要がある」とおっしゃっていましたが、そのときには図書館の存在は欠かせません。「図書館がなければ本を再生産することもできない」のです。
電子書籍の議論と並行するかたちで図書館の存在感が急浮上していることは、ぼくも実感としてもっていましたが、こうも直接いわれると、図書館にかかわりのある公共空間で仕事をする身としてはうれしいものでした。
ただ、それとともに、電子書籍への期待とともにおっしゃった
「図書館のような場所の豊かさを電子書籍が受け継げるのか」
という発言を、図書館に併設された、本のない公共空間であるメディアセブンは、真面目に受け止めなければなりません。今回ブラウジングトークセッションという公の場で、仲俣さんといろいろと意見交換をさせてもらったわけですが、開かれた議論の場を設けていかなければと思いました。
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