連続トークセッションも後半になりました
9月21日の「メディアをめぐる、7つの話」の第五話は、映画『新しい神様』や『PEEP “TV” SHOW』において個々人の心のあり方から現代社会を鋭く問う映像作家であるとともに、自主制作ビデオを普及・流通をサポートするVideo Act!を主宰されるヴィデオアクティビストでもある土屋豊さんをお迎えしました。
土屋さんが監督された作品の一部の解説と映像作家としてのお考えを聞いた後、ヴィデオアクティビストとしてのご活動についてうかがいました。
お話を聞きながら思ったのは、意見を世に表明することに対して誠実な方だということでした。
すぐれた表現者はたいていそうなのですが、土屋さんにおいては自分だけにかぎらず、他人が表明する意見を世に表明することに対しても同様に誠実です。その意見がまとまりきらない声のようなものであっても、土屋さんつねに誠実に、その意見とそれを発する人に向き合われます。
まさに生きられる声に向き合うことで紡がれるのは、その声の持ち主の生きる世界にほかなりません。土屋さんの映像作品の迫力は、ここに由来するのではないでしょうか。
その姿勢はもちろん、多くの自主制作ビデオを世に流通させるVideo Act!を主宰されることにもつながりますし、この夏の洞爺湖サミットにおける周縁的なでデモを撮影し、ウェブ上で「放送」されることにもつながります。
トークセッションが終わったあとの打ち上げの席で、聞けず仕舞いにおわった作品をつくられる動機(いちばん大切なことなのに…)を聞いたところー
「世にまだ表明されていない意見を世に問うこと」
と応えられました。
参加されたみなさんが、表層的な過激さに惑わされることなく、土屋さんのこの誠実さに触れていただけているなら、大成功だったと思います。
話は変わりますが、この連続トークセッションの第一回に来られた多木浩二さんが、「メディアに包囲され拡散した世界のなかで表現が立ち返るべきは生命だろう」という趣旨の発言をされました。被写体の生きる世界に肉薄し、そこから社会的な問題を問う土屋さんの表現は、まさにそれなのではないかと思いもしました。
そして土屋さんは、表現において技術は二の次だと考えらっしゃるのですが、その考えは、レイ・ハラカミさんや西郡勲さんとも通じます。
PaPeRoというトークセッションのはじまりを経て、土屋豊さんという結節点を経て、トークセッションが大きな連関のなかにあるように思いはじめました。
次回は10月2日[木]。あらゆるものの連関を生み出すウェブサイト関心空間を主宰する前田邦宏さんをお迎えします。